チャンマールタイムス

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多様性

ポイント

 ・古代中国史に現れた多様性国家『匈奴

 ・多様性の持つ強さと、対極にある「単一価値観にまとめ上げてしまう」事の対比


 では今回は予告通り「多様性」について。

 2回に分けてお送りします。初回は古代中国史に学ぶ多様性。次回はオードリー・ヘップバーンに学ぶ多様性、です。


 漫画「キングダム」の影響で昨今中国史ブームがあるようですね。福田雄一監督の「三国志」の映画も公開間近のようです。中国史ブームは私が覚えているだけでも過去に2回ほどあったように思います。横山光輝先生の漫画「三国志」がアニメ化された90年代初め、少年ジャンプで漫画「封神演義」が連載されていた90年代後半。私が生まれる前ですが70年代にはドラマで西遊記があったり、80年代にはほとんど話は違いますが孫悟空が出てくる漫画・アニメ「ドラゴンボール」が社会現象にまでなりました。

 古代中国と言ってイメージされるのはこれら作品に描かれた世界でしょう。妖怪や仙人が跋扈し、ヒーローがそれをやっつける。時々地元の悪い領主であったり、盗賊なんかが出てきて懲らしめられる、日本でいえば水戸黄門のような世界観でしょうか。

 さてそんな古代中国史、今回目を向けるのは紀元前3世紀ごろ、上記「キングダム」の時代とほぼ同時期にあたります。中国の、と言いますが中国という名称はご存じの通り「中華人民共和国」の略ですのでそんな昔にあの一帯を「中国」とは言ってません。おそらくその頃一般的であったであろうあの地域を指す名称は「中原」では無いかと言われています。そんな中原地方に現れた秦や漢と言った王朝に非常に大きな影響を与えた国家が、その遠く北側に存在しました。匈奴と言います。北方の騎馬・遊牧民族で、現代のモンゴル人の祖先(人種的にというよりは生活文化的に)と言われています。モンゴルと言えば世界史上最も広大な面積を支配した帝国「大元ウルス」(要するに元)を打ち立てた民族ですね。その祖先でもあります。この匈奴は、実際1500年後に世界最大の帝国を作り上げるだけの秘訣のある国家運営のシステムを持っていました。キーワードは「多様性」です。そんな匈奴から現代にも通じる「多様性」について学んでみたいと思います。


 匈奴という民族は文字文化を持たなかったため、歴史にほとんど登場の場がありません。南の中原国家が書き記した記録からしかその実態をうかがい知ることが出来ないのです。おそらく匈奴との交流が最も活発であったであろう漢の時代に作られた有名な「史記」にも記述があります。高祖劉邦ですら敗走させるほどの強さで漢を圧倒し、その強大さから漢は匈奴に対し不平等条約を結ばざるを得なくなり、その兄弟関係(もちろん兄が匈奴)はしばらく続いた、とあります。漫画や映画で見ることのできる英雄を遁走させるほど強かった匈奴。紀元前から長く世界最先端の技術や武力で世界史に君臨した中原国家の数々よりも明らかに強いと記録された匈奴

 本来「史記」のような歴史書は、書かせた為政者に都合のいいように書くものです。史記漢の武帝の時代ですが、これはちょうど匈奴との長い葛藤に終止符を打ち、兄弟関係を打ち破った直後にあたります。武帝が長年いじめられてきた匈奴にやりかえしてやったぞ!という気持ちで書かせたのかは分かりませんが、自らの祖先の情けない敗走劇を記述する、というのは異例です。

 ここから伺い知ることが出来るのは、もちろん武帝の時代には匈奴を圧倒し優位に立っていたから、という側面もあるでしょうが、そう書かざるを得ないほどやはり匈奴が強かった、という事ではないでしょうか。(そしてそんな匈奴を破った俺スゲー!も言いたいことの一つでしょう。)


 匈奴が暮らすのは中国北方の、まさしく現代のモンゴルからロシア中南部にかけてです。定住して農作物を作るのには向いていない土地ですので、遊牧民として点々としながら生活をしていました。この辺は今のモンゴルにも受け継がれていますね。このころは周囲に突厥月氏、東湖など他の遊牧民族もあり、特別匈奴が傑出した集団というわけでは無かったようです。


 始皇帝が中原国家を統一した頃、匈奴にも傑物と語り継がれる君主が現れます。冒頓単于(ぼくとつぜんう)という人物です。冒頓単于は次々と周囲の遊牧民族を従え、秦や後の漢に脅威となる巨大な北方騎馬民族国家を支配しました。

 匈奴を始めとした北方騎馬民族は非常に厳しい環境で生活している都合上、複数の民族が敵対するのではなく協力しあう、という習慣がありました。そんな文化を継承し、冒頓単于は自らの国家運営も、征服者である自らの言語、習慣、文化を強要するのではなく、最低限の朝貢と軍務さえこなせば、あとは自由、というシステムを導入しました。なので匈奴に侵略された国も、侵略前とほとんど変わらない生活を送ることが出来たのです。こうやって匈奴は多様性を担保した国家を作り上げていったのです。様々な特徴を持った多様な民族が「協力しあって」国家を運営していくので、自然災害や外敵の脅威など多彩な国家の有事に対して柔軟に対応できたのです。


 始皇帝の時代から匈奴は脅威であったため、みなさんもご存じの万里の長城、あれが建設されたのもこの頃です。冒頓単于は東西に広く領土を広げることはできましたが、南進は長城によって阻まれました。それでも北方のほとんどの騎馬民族を平定し、上記のように巨大な国家を建設しました。冒頓単于個人の圧倒的武力に拠るところも大きいとは思いますが、厳しい環境ながらそれだけの勢力を持てたのは、やはり多様性に拠るところも大きいと私は踏んでいます。

 多様性にも弱点はあるようで、それは「まとまりのなさ」という結構見えやすいところにある落とし穴なのですが、冒頓単于の時代は彼のカリスマでまとまっていた国家も彼亡き後まとまりを失っていきます。上記のように漢との立場は逆転し、歴史上ではひっそりと滅亡への道をたどります。彼らが次に歴史に登場するのは13世紀、モンゴル帝国として、です。


 ここまで見てきて、厳しい状況で「打たれ強さ」を持つうえでは、やはり「多様性」というポイントは欠かせないように思われます。ゲームのパラメーターでたとえるなら防御力ですね。しかし攻撃力という側面では、あまり多様性は関係ないように思いますし、場合によっては攻撃面では多様性はむしろネガティブな影響があるようにも思います。上にも書いた「まとまりのなさ」です。

 歴史では、征服した国は言語から文化まで全て奪い取り、自らの文化に染め上げてしまうという形での侵略は多く見受けられます。匈奴が行ったような、ある意味緩い征服の仕方は、あまり類を見ません。のちのモンゴル帝国(大元ウルス)も侵略の際に、「服従しなければ皆殺し。服従すれば全ていままで通り。」を事前通告し、その言葉通りの対応をしたと言われています。冒頓単于匈奴を彷彿とさせますね。結果人的被害を最小限に抑えて巨大な帝国を作り上げられたのは言うまでもありませんが、様々な、多様な文化が東西幅広く交流する土台となりました。そしてまとまりのなさから分裂し、大元ウルスは比較的短命に終わりました。


 「まとまり」さえしっかりと抑えられれば、「多様性」を持つ社会は非常に強い、ということを学ぶことができるかと思います。そして驚くべきは、2200年も前の中国北方に、そういった考えを持ち、実践した君主がいた、ということです。驚くべき統治センスです。冒頓単于は他にも当時「領土」という概念の薄かった遊牧民即にその概念を浸透させたり、とにもかくにも傑物、一歩も二歩も先を行く人物であったのは間違いないようです。


 それではまとめていきたいと思います。

 アメリカ大統領選挙では、多様性を重視する民主党候補が当選しました。コロナ禍においてはなにより外的要因(パンデミック)に対して強い社会の構築が最も重要です。単一の価値観だけで対応するのではなく、多様性を持った集団がことに当たることで、柔軟かつよりベターな方策を打つことが可能になるのではないでしょうか。

 時代によって求められる価値観は異なるでしょう。ですが、今求められているのは、「多様性」なのではないでしょうか。私はそう思います。


 次回は今回同様「多様性」について語ります。中心となるのは、オードリー・ヘップバーン??です。

 

※ただの一般市民の書く記事ですので、特にソースを示していない文章について、不正確であったり、私個人の誤解に基づいていたり、そもそも間違っていたり、する場合があると思います。そういった部分を見つけた方は出来るだけ優しく教えていただけると幸いです。勉強になります。またそういった理由により、記事を丸呑みするのではなく、興味を持ったらぜひご自分でいろいろ調べてみてください。